心に響いた言葉

【自分】という感覚が生じるのには、大きく分けて三つの要因があります。
まず、【自分】の正体が何者かがわからないとしても、何かは存在しているんだよね、という「自分」の前提となる『存在感』がありますよね。
その存在感のことを【意識】と呼びます。これが一つめ。
 
二つめは、その存在感を受け取っている【肉体】。
 
三つめが、その【肉体】を使って吸収してきた人生経験、さまざまな【知識】【記憶】です。
 
つまり、『私(というこの感じ)=意識+肉体+知識(記憶)』です。
 
ですが、「think」の次元にあるときは、この【意識】がおざなりになってしまいます。「生きている」「ここに存在している」実感が薄れてくる。
 
そして、その【意識】を除外した、肉体とそれに付随する観念だけが「自分」として一人歩きしだすんです。
 
そうなると、【意識】と【肉体】が切り分けられ、さらに、肉体の側に比重が傾く。
その結果、「肉体が命を保有している」という概念に囚われます。
「生まれる」というのは、肉体に命が宿ること。
また、「死」とは、その肉体からいのちが消滅すること、と考えている。
でも、それは真実ではありません。
 
本当は、この【意識】こそが、僕たちの本性なんです。