嫌なことを言われたとき

誰かが理不尽にあなたを罵倒する。あなたは何を選択するか問われる。
「私とは傷つくことができる物質的存在である」と選択するのか?
「私とは完全である」と選択するのか?
もし後者を選択するなら、ただ聖なる無関心であり、ただ〈在る〉にとどまりなさい。
なぜこのようなことが起きたのか、と考えても無駄である。
あなたには知ることができないからだ。
なたがここで知る必要があるのは、あなたに浮かぶ思考と想念に気づき、「ああ、私は未だに自分を身体だと思っている」と知り、「でも、この観念は自分に平和と幸福をもたらさない」と再認識し、それからただ〈在る〉ことだけである。

「”それ”は在る」