「仮面ライダー555(ファイズ)」

これを見るまでは、度重なるシンクロニシティがあった。
まず、友人と神話について話しているときに、「死と再生」というキーワードが出てきたのだが、私はそれを、「使徒再生」だと思いこみ、インターネットで検索したところ、仮面ライダー555(ファイズ)が出てきた。
死んだ人間がよみがえって、オルフェノクという怪物になるという説明だった。
次にシンクロしたのは、FMラジオのサタデーホットリクエストという番組で、仮面ライダー555の主人公をやっていた半田健人がでていたのを聞いたことだった。
話がとてもおもしろくて、若いのに歌謡曲が好きで、曲まで出していて、おもしろい人だなと思った。
それで興味がでて、半田健人について調べるとともに、仮面ライダー555も調べたら、一度見てみたくなって、全巻借りて見てみた。
それまでは、仮面ライダーにはまったく興味が無く、まさか自分が見ることになるとは思いもよらなかったのだが、シンクロニシティに導かれて見ることになった作品はめずらしい。

仮面ライダー555(ファイズ)」の中では、仮面ライダーは、あくまで「力」でしかない。
使う人によって、善にもなるし悪にもなる。
そして、いとも簡単にベルトがうばわれ、悪者が仮面ライダーに変身しておそってきたりする。
仮面ライダーだからといって、信用してはならない。どんな人が中にいるか分からないからだ。
仮面ライダーには、敵としてオルフェノクという怪物が出てくるのだが、怪物だからといって敵だとは限らない。人間の心を持った、人間の味方のオルフェノクもいるからだ。
だから、悪者が変身した仮面ライダーと、人間の味方のオルフェノクがたたかうという事も起こってくる。
見た目では、もう判断できない。
しかも、人間の味方のオルフェノクも、常に揺らいでいて、悪に染まることもある。
仮面ライダーに変身する正義の味方の中にも、ちょい悪の人がいる。
主人公でさえも、悪に変わるかもしれないという疑惑がでてきたりする。
そうなってくると、すべてが混沌としていて、何が正義で、誰が悪者なのかという定義も難しくなってくる。
そこが、現実社会とリンクしていて、考えさせられる。
そもそも、人間を善と悪で区別することなど不可能なことなのかもしれない。一人の人間の中に、善と悪が共存しているからだ。
そこがうまく描かれていて、おもしろい。