本「トカトントン」

主人公は、「トカトントン」という鍛冶屋の音を聞いたとき、はっとして、目の前の現実にしらけて、虚無感に襲われる。
あるときは何かに夢中になってがんばったりするのだが、ふとしたときに、「トカトントン」が頭の中にリフレインして、すべてが虚しくなる。

太宰治は、躁鬱病双極性障害だったのではと思った。

しかし、この現実に虚しくなるというのは、この世は夢のようなものだという真実に気づいているのかもしれない。

この世には、自分をしあわせにしてくれるようなものはない。
逆に、生きるのがどんなに苦しくても、この世は幻想のようなものだから、大して気にする必要はない。
そんなメッセージにも聞こえる。

そして、このメッセージにほっとする人もいるのではないかと思う。
たまに虚無感を感じるのも、癒やされるところがある気がする。


※追記

その後、虚無感にとらわれそうになり、軽い鬱状態になった。
バーベキューで肉を食べたせいかもしれないが、以前「人間失格」を読んだときにもこうなった事があった。
こうまで引き込まれるということは、太宰治はやはりそれだけ文章がうまいということなのかもしれない。
しかし、ちょっとした怖さを感じた。