批判
先日、雑談で、1年前にあった出来事を思い出した。
上司が、ミスを部下のせいにしようとして、私もその中に入っていたということを他の人から聞いて、愕然とした。
怒り、裁き、批判、悔しさ、非難などの感情が、一気にブワッと出てきて、もやもやした。
書き溜めていた心に響いた言葉のメモで、「批判」で検索してみたら、以下の文章が出てきて、はっと気付かされた。
まだ魂に刻み込まれていないことは、こうして何かがあったときに振り返ってみると、良い学びになる。
メモを続けていこうと思った。
批判というのは、100%過ちである。
どんなに相手が間違って見えても。
どんなにあなたのほうが正しく見えても、だ。
そもそも、宇宙に 「批判されるに値するもの」 が存在できないからだ。
ただ、我々が根強く持つに至ってしまった 「こうあるべき」 という善悪の感情的基準が、本来意味も善悪もない究極的宇宙視点と相容れないという、ただそれだけのことである。
「裁き」「批判」「非難」から生じる不愉快な感情は、どう言い訳をしても自分が創ったものですから、他者や相手にぶつけるものではないのです。
自分の「内なる中心」に受け容れていくべきものです。それが「天」に還すということで、愛ということですから。
そして、不愉快な感情などの「受け容れ方法」のひとつが「瞑想」です。
秘訣の1つは、心の中で人を悪く思ったり、批判したり、責めたりしないこと。
ましてそんなことを実際に言うなんて問題外。
そんな考えが少しでも出てきたら、すぐに他の事を考える癖をつけるんだよ。