映画「ロボコップ」

最近ブログから遠ざかっていたが、感動したことがあるとむくむくと書きたくなるものだ。

映画は、ロボット推進派のテレビ番組から始まり、終わるのだが、テレビによる洗脳をうまく表現していた。
新たな技術が開発されると、権力を持ったものがそれを手にし、悪用する恐れがある。
どんなに技術が進んでも、それを使う者に愛が無いと、必ず悲劇が起こる。
繰り返されてきたテーマだが、主人公側の視点よりも、権力者側からの視点から描くことによって、より恐ろしさが引き立っていた。
もし自分が権力者側だったら、保身のために、証拠が残らないのだったら悪にも手を染めてしまうかもしれないという怖れを感じさせる。

それから、主人公の肉体部分は頭と肺と心臓だけなのだが、機械の体は壊されても、すぐに新しいパーツに入れ替えれば元通りになる。
頭と肺だけのリアルなビジュアルを見ることによって、人間も、肉体は魂の乗り物なのかもしれないと実感した。
リアルに描くことで、概念としてしか捉えられないものが、じわりと実感できるという効果が、映画にはあるのかもしれない。
骨太な映画だった。