心に響いた言葉

人には、見ただけで何となく一緒にいたくないと感じさせたり、ケチをつけたいと感じさせたりする人もいれば、自然に優しく接したいという気持ちを起こさせる人もいます。
自分が大量の仕事を押しつけられたのは、こちらの心が相手を刺激して、「こいつに押しつけてやれ」という気分にさせてしまったのだと考えられます。
しかしそのような目にあったとき、人は、自分が相手の嫌な部分を引き出してしまう性質を持っているとは認識したくありません。
自分のイメージを下げることになるからです。
そこで人は、現在の自分はこのような目に遭うのがふさわしいのだという現実認識から逃避するために、相手に対して「なんてひどい人だろう」と怒るのです。

生きることは、現時点の自分はどのような目にあうのがふさわしいのかを朝から晩まで思い知らされるゲームのようなものです。
思い知るきっかけをすべて見て見ないフリをして、根こそぎ「なかったこと」にしようとすることが、怒ることの本質ではないでしょうか。
相手に「この人は尊敬をもって扱わなくてもいい」と思わせてしまう、現在の自分の姿を見るかわりに、「自分に対する敬意の足りない、ダメで愚かな人間」として相手を見る。
その結果、心は「こんな愚かなやつと違って自分は立派な人間だ」という幻覚にひたり、気持ちよくなってしまうのです。