「特別授業・差別を知る」

NHKでやっていた、海外の番組で、「特別授業・差別を知る」みた。
擬似的に差別を経験する試みなのだが、いったん権力を持った教師が差別を奨励すると、ほとんどの子どもたちは差別に荷担した。
差別されない側のほんの数人だけが泣きながら抗議したが、差別されない側のあとの子どもたちは差別される側を馬鹿にしたり、嫌がらせをしたりし始めた。
次の日、今度は立場が逆になって、差別されていた人が差別される側になると、いままで差別されていた人たちが、今度は嫌がらせをし始めた。自分たちがされて嫌だったことなのに。

ユダヤ人差別、黒人差別、キリスト教イスラム教の差別、いろんな差別に通じるものを感じた。
人間は、差別される環境になってしまうと、簡単に荷担してしまうし、そして暴力の連鎖の泥沼に入り込んでしまうのだ。

しかし、差別の実験が終わって、みんなが冷静になると、実験以前から差別を受けていた太っていた子どもの気持ちにみんなが気づき、太っている人を差別しなくなった。それが救いだった。

人は、自分がその立場にならなければ、他人の気持ちをなかなか理解できないものだ。
そしてさらに、差別がまかり通る状況が過ぎ去り、冷静になったときでないと、他人を思いやる心のゆとりも生まれにくいようだ。
もちろん、どんな過酷な状況でも、差別をしない進化した魂の持ち主もわずかながらいる。しかし、圧倒的な多数派のなかにもみ消されてしまう。

このようなことは、ナチスドイツや、いままでの歴史の中で繰り返されてきたのだろう。
でも、このように人間の本能ともいえる差別意識を意識して、乗り越えようという試みが表面化してきたことに、人類の希望を感じた。