負の欲求

人には、負の欲求というべきものがある気がする。
暴力の欲求や、残虐さへの欲求。
それが、追いつめられたり、ストレスが加わったりした状況で噴出してしまうのかもしれない。
戦争になると、必ずそういった残虐行為が行われる。どの国、どの人種でも起こっている気がする。ドイツ、日本はもとより、アメリカだってそうだ。これは、どこの国の人だからというより、人間だれしもがもっている性質なのかもしれない。
そういった欲求を、映画などのアクションシーン等で解消しているのだろう。
映画の中では、人が撃たれたり、核ミサイルが爆発したり、ビルが爆発したりしても、それを娯楽ととらえられる。しかし、現実にビルが爆破されると、一転して悲劇になる。
同時多発テロが起こった翌日、「私スパイ物が好きなの」と言って、ワクワクして浮かれている人がいた。それはそれで、正直な感想なのだろう。あまりにも突飛で、現実感が無く、まるで映画のように感じられたのだろう。映画の中だったら、娯楽大作という事になるのかもしれない。世間一般から見たら、不謹慎だということになるのだろうが、しかし確かにそういう感情は誰しも持っているのかもしれない。
イラク人を撃つとスカッとすると言っていたアメリカ兵がいたが、その状況に慣れてしまうと、ゲームのように感じられてくるのだろう。想像力の欠如とはおそろしい。自分が撃たれる立場になってみないと、一生分からないのだろうか。
すべてのことを経験しなくても分かるようにならないのだろうか。そのために何回も生まれ変わっているのかもしれないが、そこを超えて、一気に悟るようなことはできないのだろうか。ある程度いろんな経験をすれば、いちいちすべてを経験しなくても、分かることができるようになるのだろうか。
他人を例にとったが、自分の中にだって、いろんな面がある。自分だって、ある状況におかれたら、残虐行為をしてしまうかもしれないという恐れをもっている。逆に、被害者になるかもしれないという恐れもある。
そこを超えたい。