映画「パッション」

山川さんが言われていたとおり、暴力が強調されすぎていた気がするが、暴力を疑似体験するという意味では効果的なのかもしれないと思う。
エスさまのメッセージでは、映画ほどひどくはなかったというが、観ている側は痛さを感じないので、少し過剰に演出したのかもしれない。
いま現在、暴力に苦しめられている人がまだ存在するということを感じるためにも、メルギブソンはそういう演出をしたのかもしれないと思った。
しかし、暴力シーンだけでは、何も伝わらないのも確かだ。

山川さんがチャネルした、イエス様のメッセージ

『あの映画は私の真実の姿を描いているわけではありません。あれは
聖書に書かれたものをもっとひどく描き、現代の人々のサディステ
ィックな志向を満足させるための映画に過ぎません。私のためでし
たら、どうぞ見ないで下さい。私はもっと楽に生きています。あの
ような苦しみにあってはいません。確かに、民衆に捉えられ、死刑
にされていますが、鞭打ちや十字架に掛けられるまでの話、十字架
に掛けられた話そのものが、後世の人々が私を聖人として、神の子
として崇め奉るために作り上げた架空の物語です。私は歴史に数多
く表れている、真実を伝える教師の一人です。あなた方と全く同じ
存在です。それをどうしたわけか、キリスト教と言う宗教ができた
おかげで、私は特別の存在になり上がってしまいました。誰一人、
私が伝える真理に心から注目する人はいませんでした。ただ、私の
霊的な力を特別視し、私が特別の神の子であるとして、それをもっ
ともらしくするために、いろいろ作り上げたのです。魔女がりと言
うものがありましたね。私が殺されたのは、まさに魔女狩りと全く
同じ理由です。そして、そのやり方も決してあのような残酷なもの
ではありませんでした。あなたは私が暴力を肯定した、といわれま
すが、それは間違いです。私は当時の人々のやり方で死刑にされた
だけです。私が暴力を認めたからではなく、あなた方が、つまり私
を含めたすべての人々が暴力的だったからこそ、この2000年間
は暴力と人殺しの時代だったのです。今やっと、あなた方は戦争で
さえも人を殺すことはいけない、暴力はいけないと、わかり始めた
ところです。それがまさにみずがめ座への移行を意味しています。』